『ベケットを見る八つの方法』岡室美奈子・川島健編

ベケットを見る八つの方法―批評のボーダレス

ベケットを見る八つの方法―批評のボーダレス

岡室美奈子・川島健編『ベケットを見る八つの方法:批評のボーダレス』(水声社)は、生誕100年を記念して2006年に行われたベケット国際シンポの論集『ボーダレス・ベケット』の日本語オリジナル編集版(原著は英仏テクストの混在版)。

J・M・クッツェーをはじめ、スティーヴン・コナー、ブリュノ・クレマン、アントニー・ウルマン等々、世界の第一線で活躍するベケット研究者たちがずらりと顔を並べ、そこに日本の研究者たちも加わった貴重なベケット論集。

これだけ国内外の名だたるベケット研究者が顔を揃えた論集はこれまでになく、ベケット論集としての質はこれまでで最高ではないだろうか。テーマも切り口も多彩で、さまざまなベケット像がいろんな角度から浮き彫りにされていた。

スティーヴン・コナーはバディウやナンシー、ブリュノ・クレマンはブランショドゥルーズ、シェイン・ウェラーはデリダアドルノといったように、全体的に文芸批評家以上に哲学者への言及が目に付き、現代思想に関心を持つ人には興味深いコンテンツになっている。

論集の最後に置かれた編者・岡室美奈子氏「自動降霊機械としてのテレビ」はベケットのテレビ作品「…雲のように…」を扱ったもので、この作品がテレビ用に書かれたということ以上に、テレビというメディア(媒体=霊媒)そのものを表現しているとするその論述は鮮やかで豊か。

 

Borderless Beckett / Beckett Sans Frontieres: Tokyo 2006 (Samuel Beckett Today/ Aujourd'hui)

Borderless Beckett / Beckett Sans Frontieres: Tokyo 2006 (Samuel Beckett Today/ Aujourd'hui)

 

 

 

ジャン=リュック・ナンシー「集積について」 (『フクシマの後で』所収)

フクシマの後で: 破局・技術・民主主義

フクシマの後で: 破局・技術・民主主義

このナンシーの技術論をどう読んだらいいのだろう。ナンシーは「技術は自然を代補する」という一文によって、デリダの「代補(シュプレマン)」という概念を召喚するところから始めるけれど、この概念自体が自然と技術の関係の審級に支えられているとし、その関係の蝶番に「火」というエネルギーを見ることで「技術は自然のうちに自らの場を有している」とする。


ナンシーは脱構築(デコンストリュクシオン)からデコンを取った集積(ストリュクシオン)という概念を用いる。それによってハイデガー的な技術論や構築/脱構築といったパラダイムとは別の場所で思考をしたがっているようだ。ナンシーによれば脱構築は構築の中に胚胎されていたのであって、建築的ないし構築的なパラダイム脱構築も含む)は自らを超-構築して、ストリュクシオン(集積)に反転するという。 


ストリュクシオンないしエコテクニーと呼ばれる世界は、現前なき現在の、共出現(コンパレートル)の、目的が散乱した無際限化の世界であり、そこでナンシーはデリダの用語では「誤配」を持ち出してくる。

 

結論は書かれていない。この無際限化の運動は、止まるべきなのか、どこまで行くのか。ナンシーは問いかけで終える、この無際限化は自己破壊的なものなのか、あるいは、このストリュクシオン(集積)を通じて「《意味》をどのように認めるかを見出すことになるのか」と。